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やる気が出る
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典型的な英会話教室ではないとはいえ、Russell Sq. の授業は文法学習・読み書き訓練に始まり、応用編「学校で教わらない使える会話」で締めくくられます。

前もって教わっていないと理解不能な表現をいくつか観察してみましょう。

まず、次の対話を読んでみてください。

Hello ! How are you?
I'm fine thank you.
And you ?

日本で英語教育を受けた人たちに親しみのある対話形式ですよね。
しかし、海の向こうでは、このやりとりがおおよそ存在しないのです。
しばらく会っていなかった場合には、改めてこの対話が聞かれる程度です。
せっかく学校で教えてもらったのに、もったいないお話しです。
ただ、この対話は基礎の基礎ですので、知っておいたほうが良いのは当然です。

じゃあ、最も一般的に話されているものは?

ロンドンの街角やオーストラリアでは;
Alright mate? (オーライマイ)と短く挨拶を。
また、これはどうですか。
How are you doin' ?
(ハユードゥーイン’ )
発音も耳慣れず、あまり聞いたことがないはずです。
どう返事しますか?

誰かに電話したときに ;
Put me through to
Mr. Leigh ?
と言えますか?

そのあと ;
Hold on a second, please.
と言われればどう返しましょうか?

授業の最中に先生から;
Are you with me, class ?
と問いかけられたら、何と返事しますか?

あちらでは、このような表現は日常のごくありふれたものですが、日本の英語教育では学びません。
だからまず、このような文章の成り立ちを机の上で教わることから始めなければなりません。

でもだいじょうぶ!
教わってしまうと、難しくも何ともない英文です。
心配いりません。

このような英語でのやり取りを学び、なんの抵抗も無く自由に使えるようになれば、あなたの毎日も変わってくるでしょう。
ネイティブの人びとと、このようなコミュニケーションができたなら、どれほど楽しいことでしょうか。

「やる気が出るお話し」
どうでしたか?
あなたの「やる気」
出てきましたか

このあとに
「コラム1」
「コラム2」

「コラム3」
が続きます

お時間のあるときに
ぜひ読んでください

若き人たちへの
「生きるヒント」

【 コラム1】

すべては英語から

言葉を旅し
大学の教壇へ

そして今
中学生の人たちと
歩く道を

エッセイ




「彷徨い 道に迷ったら
一度立ち止まりなさい
そして道ばたに腰かけなさい
汗が引いたらあたりを見回して
これから向かう路を決めなさい」

ケニアからきた
友だちの言葉です

英語って一体なに?
なぜ英語を学ぶの?
そんなこと考えたことはありませんか。
よく考えて、それで英語を学ぼうと決めたのですか。
恐らくそうではないですね。
実は、私も例外ではありませんでした......。


小学生のころから、何だかわからないままヒトのコトバがとても気になり、中学生のころは、単に英語が好きだったので無心に勉強した。

でも、英語は自分の選択ではなかった。
教える側の選択だった。
そして、高校生のとき、大学へ行きたくて、さらに英語に埋もれていった。
何も疑問に思わずに・・・。

英語、どうしようもなく美しかった。
だから、それが他のコトバではなく英語だったことに、まったく疑問はなかった。

そして、英語は私の日常に。

月日は流れた。
そして、やがて気づく。
コトバは英語のほかにも。

ここから始まった。
私のコトバへの探検が。
そして、知ることとなった。
この地球の上には、5,000を超える言語があることを。
人間の文化や社会は多様性に富んでいる。
コトバもそうだった。
文化・文明には民度の異なりが反映される。
しかし、コトバには民度の異なりがないことも知った。
5,000を超える言語は、例外なく優美で精巧に創られていたのである。
さらには、豊かな構造と体系を備えていた。
文明の深度にかかわらず、すべての言語が「芸術」の極みであった。
完成されていた。

さらに知った。
地上の言語が「家族」を形成していることを。
例えば、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、そしてルーマニア語とイタリア語は、共通の「母」がいる。
母はラテン語である。

ゲルマン語には娘たちがいる。英語、ドイツ語、ノルウェー語、オランダ語、それにデンマーク語など。

壮大な浪漫だった。

そして、やがてある疑問が。

「じゃあ日本語は...。」

知りたい気持ちが抑えられなくなる。

文献を読みあさった。そして、それでは飽き足らなくなった。
やがて私は、海を渡ろうと決心を。
私が好奇心のままに迷い込んだ領域は、ヨーロッパで確立された学問。

「歴史言語学」

言語の起源や系統を探る研究分野である。
西洋ではすでに方法論が確立されていた。
それで私は、日本語の原郷を求めてイギリスへ渡った。
そこには、歴史言語学の大家であるドイツ人研究者がおられたからだ。
イギリスは、歴史言語学の発祥の地であり、ドイツでその方法論に磨きがかかった。

「イギリスで日本語の研究なの?」
不思議な顔でよくそう尋ねられたことも。
理由を話せば長くなる。
そう思いながら、私は;
「はい、そうですよ」と、いつも笑って答えた。

少し時が経ち、日本語の起源は、現代言語学の英知をもってしても解明できないことを知ることになった。

失望した。

だが、そのドイツ人教官の指導で、私は、古代日本語の音韻研究へ方向修正した。
そこでは、古代日本語の音韻特性が遺る鹿児島県奄美大島方言と古代日本語との比較研究に没頭することに。

学位論文完成には、5年10ヶ月の歳月を要した。
その間、私は英語で生活をし、英語で学問をし、そして、英語で泣き笑いした。
時には悪さもした。

また私は、イギリスの人々に日本語を教える仕事をやることにもなった。
そこで、彼らが辿る日本語獲得の流れを目の当たりにすることになる。
そこでは、私は日本語で日本語を教える「直説法」ではなく、英語で日本語を教える「間接法」を使った。極めて効率的でスピーディーな教授法。私が使う英語の量は、彼らが日本語を上達させるにつれ、少なくなり、ついには、教室は日本語で溢れるようになるのだ。
英語獲得もこの教授法が求められる。当初は日本語で教え始める。そして、徐々に教室は英語の世界と化す。
受講者たちが気がつかないほど、だましだましに。

今もこれが私の英語教育のスタイル。

また、帰国してからも、大学という職場で、留学生たちが日本語を獲得してゆく姿を見てきた。ここで確信したのは、人間の言語獲得には、後述する「臨界期仮説」が立ちはだかるということ。

私が中学生の人たちにこだわる理由はこれ。

この経験が、今日、私の英語教育論の構築につながった。
外国語での会話を可能にするには、その前に行うべき学習が求められる。
文法学習、発音練習、イディオム、そしてコロケーションと音声学習など、テキストとノート、そしてペンを使った地道で骨の折れる作業だ。

このプロセスを飛ばした「いきなり英会話」は無謀に過ぎる......と語れるところまで、私は自分のやり方でたどりついた。
思えば長い道のりだった。

「すべては英語から」

幼きころの英語への憧憬は、私の人生の原風景になった。

【 コラム2】

できなかった人の
教育観


私はできなかった人です
でも
同じ立場の人たちへの
共感が
私を教育の世界へ
駆り立てました

学力って?
とても大切なものなのですしょうか?

そりゃあ、学力はあった方がいいのでしょうね。
物事の理解に長けている。状況把握に優れている。教えられたことの飲み込みが早い、等々。

学力のある人。
いわゆる頭の良い人です。

私が永年お世話になった大学という世界は、確かに、頭脳明晰で若い頃より優秀だった人々の集まりです。
人の言うことをすぐさま理解し的を得た行動をとる。

このような意味からは、学力ってあったほうが良いものなのでしょう。

ただ、他人に物事を教える立場となった場合、頭が良いことによるある種の弊害みたいなものが生じるのを、私は数多く見てきました。

頭の良い先生は、ご自分が分かっていること、知っていることを、目の前の学生さんたちも当然分かっているものとして、語り続けることがあります。
講義を受けている人の中には、先生の言っていることがチンプンカンプンである場合が少なからずあるのです。

そして、先生はそのような人たちにイラつき、言葉を荒げる場面も。

これはいけません!

教えられる側は萎縮してしまい、訊きたいことも訊けなくなってしまう。
そして、自信喪失し、落ち込み、気力が萎えてしまいます。

教員失格。

コラム1で紹介したイギリス時代の私の指導教官、そう、ドイツから来た先生です。
私は、この先生と定期的に会い、自分が書いたペーパーの指導を受けました。
私は自説を熱く語ります。
ある日、その教官が私に言いました。
「ジュン、あなたの論理はいつも正しいかも知れないけど難しい。私をあなたが使う用語も基礎も知らない人間だと思って話しかけて。」



ハッとしました。この分野の大家をして、そのようなことを言わせしめた私は何様?
記憶の限り頭脳明晰ではなかったはずの私が、ここへ来て博士課程の研究生という、辟易するようなプライドを抱いてしまっていたのでした。
勘違いと同時に大きな思い上がりでした。
教官の言葉の行間を読むと、「あなたは、人が解らないこと、自分が知っていることを誇示しているわ。」ということではなかった?

教官の言葉は、その後の私の教師人生に多大な影響を与えてくれました。

「言語学」という学問は、大学に入って初めて経験する。
入門書さえとても難読。
それを、いかに解りやすく学生たちに伝えるか。
私もとても気を遣いながら教壇に立った。
英語とて同じことでした。
専門用語は、平然と使うのではなく、かなり平たく説明するように努力しました。

私が担当した言語学概論の授業の名称も「ヒトとコトバの世界」に。

ちなみに私は、この授業で「音声学」「音韻論(音声学の抽象バージョン)」にも触れました。この2つも、言語学と併せて、私の専門です。
皮肉な、でも今では若きころのおもしろエピソードですが、私は、大学生のころ、「言語学概論」と「音声学」という科目を受講しました。が、どちらも落としました。
「言語学概論」は、教授が主張した日本語のローマ字化に反論する理屈を学期末試験でこね、結果は0点!
人生初の0点。
「音声学」は、とにかく退屈だったのです。自分の身勝手で、なんとはなしに授業に行かなくなりました。
が、どちらの教授も、「よくできる人」に分類できる人びとでした。
あの2つの教室は、教わる側が「やる気を喪失する」空間だったのです。

おもしろいのは、どちらの学問も現在私が専門とする分野であることです。
人生、何が起こるか分かりませんね。
だから面白いのですが。

よくできる生徒・学生には、教員も好きに講義をやれば良いのでしょうが、物事の理解を苦手とする人々には、「忍耐と寛容」の精神で、粘り強く我慢強く、そして分かりやすく語りかけるように教えなければなりません。

これが、できなかった人の「教育観」。
今も変わりません。

英語には、wise、bright, cool、そして clever という類義語があります。
それぞれ微妙にニュアンスが異なり、ネイティブの人たちに使い分けられています。
あなたは、これらのうちいずれでありたいと願いますか?

私個人は、
bright でなくて良い。
clever でなくても良い。
cool でなくても良い。

一人間として、wise でありたいと願います。

【 コラム3】

バイリンガル
誕生のプロセス

チャレンジには
リスクが伴います

潜む危険を
排除して
正しいやりかたで

誰もが憧れるバイリンガル。
英語では " bilingual " と綴られますね。
この英単語は「2ヶ国語の・話者(の)」という名詞・形容詞です。

少し復習ですが、3カ国語の場合は " trilingual " 。
多言語話者は " multilingual " と呼びます。
そして、残念ですが、日本語を母語とする人の大多数は
" monolingual " であるのが事実です。


しかし、近年、少し様子が変わってきたことに、みなさん気づいているかと思います。
そう、昔と違い、国際結婚が増え、それにしたがって、家庭内にはバイリンガルの環境が生まれます。
そして、そのような家庭で育つ子どもたちが、自然と2カ国語話者として育ちます。流暢に日本語と英語(あるいは他の言語)を使い分ける若者もメディアなどでよく見かける機会も増えました。

日本にも国際化の波が。
素晴らしいことではないでしょうか。

そして、社会におけるそのようなトレンドに憧れ、我が子を幼年期からバイリンガル教育の環境におく親御さんも増えたように思います。
幼い頃から、お子さんをインターナショナル・スクールや英会話学校に通わせるケースも増えました。
彼らが成長して、社会で活躍する頃には、我が国も大きく国際化が進んでいることでしょう。


「日本はどんな国ですか?」
イギリス時代によく人びとに訊かれました。
私もいろいろな特色を紹介しましたが、いつも決まって最後に付け加えることは、変な英語ですが;
" Japan is very Japanese." という表現でした。
さしずめ「日本ってとても日本っぽい」とでも。

ネイティブの英語人は、あまりこのような言い方をしないとは思いますが、当時は、この私の変な英語を、微笑みながらよく理解してくれたものです。

しかし、上にも申しましたように、私が帰国した頃から、日本の文化事情に変化が起こり始めたように思います。
" Japan is very Japanese." ではなくなってきたな。

大人たちは、日本語しか話せなかった、己の" monolingual " を悔やみ、せめて我が子には、という思いから教育を。
それも、学校での英語教育のみならず、家庭内での英語教育にシフトし始めたのです。

私は、このような傾向をとても喜ばしく思っています。
日本の国際化が、今後さらに進んでゆくことを願います。

ただひとつ、ここで注意しなければならないことが。

両親が外国人同士の場合、それぞれの母語で我が子と話し合えば良いことなのです。
そうすることによって、子供は父親と母親からそれぞれの母語を学ぶことになります。
そして、器用に2言語を使い別けるようになるのです。

が、少なからず、そうではない環境を作り上げてしまうことがあります。
二人の親が、例えば父はアメリカ人、母は日本人である場合、それでも両親とも、2ヶ国語を場面場面によって使ってしまうことです。
父親は、普段は英語です。しかし、時に気まぐれでカタコトの日本語で語りかけます。
母親は、普段は日本語なのに、ときおり不用意にあまりうまくない英語で語りかけたり。

子どもにとって、これはカオス "chaos"「混沌」!

そして、一時的ではあるにせよ、幼年期に軽いコトバの障害を患うことも。
私の甥のひとりもそのような環境におかれました。
彼は、3歳くらいまでいずれの言語も話しませんでした。
両親とも日本人。
そしてアメリカ生活。
親は子どもをバイリンガルにしたいという思いから、このような対応を。
私は両親たちに気をつけるように諭しました。

母語が異なる両親の話に戻りましょう。

父親は英語に徹し、母親は日本語に終始する、というのがバイリンガル育成の大原則。

子どもは、遅かれ早かれ、保育園とか幼稚園などの、いわゆる「組織」に身を預けることになります。
そして、そこでは仲間の子どもたちと話す共通言語の話者として育ちます。

これでOKです。

アメリカに住んでいる子供は、学校では英語、帰宅したら、母親とは日本語を、そして父親が仕事から帰宅したら、" Hi ! Dad." と言って父親を迎え、母親に「父ちゃん帰ってきたよ。」と日本語で母親に報告します。

このプロセスが、まさにリスクを回避したバイリンガルへの道のりです。

両親ともに日本語のモノリンガルである場合も、焦りは禁物。
無造作に2言語混ぜこぜで話しかけてはいけません。

子どもたちは、いずれ英会話学校やインターナショナル・スクールへ通えば、そこでの共通言語である英語を学び、帰宅したら両親とは日本語で、という道を歩みます。

やがて、バイリンガル人が誕生します。

異言語の両親も、それぞれ自分の母語に徹することがととても大切。
我が子を惑わさぬように。

中学生のみなさんは、
「この指とまれ。」
私の指に!

バイリンガルでも、得意な言語とそれほどではない言語とのバイリンガルが成立するのが一般的です。
特に、読み書きという点で、それは顕著に現れます。
あなたは、どちらの言語を「得意なほう」にしますか?

いずれを選んでも、世の人びとの幸福に貢献できる存在でいてくれることを、私は心から願います。

コラムをお読みくださり
ありがとうございました

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